七つの謎、というほどはないが、かなりためになるし、考えさせる内容でした。
対米開戦前に、昭和天皇が詠んだ歌
四方の海 みな同胞(はらから)と 思ふ世に などあだ波の 立ちさわぐらむ
この大御歌は明治天皇が日露戦争中に詠んだものとされているが、
じつは少し違うということを知った。
明治天皇が詠んだ大御歌は
四方の海 みな同胞(はらから)と 思ふ世に など波風の 立ちさわぐらむ
で、「波風」が「あだ波」に変わっている。
じつはこの変更自体あまり記載されていることはないようだ。
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木下たち侍従間でも、「宮城(いまの皇居)にお住いになるのは経費を要すること多く、赤坂璃宮(現迎賓館)にてはいかがか」などと話し合われたが、
赤坂璃宮が住居にはまったく適していないことは、新婚生活時代に数年ほど過ごした経験のある天皇自身が先刻承知していた。
京都は政治上の連絡が不便、との理由から消えた。
そこに浮上した代替案は「砧(きぬたあ)御料地」(正式には喜多見)や
「多摩川右岸の丘陵地の買い上げ」、さらに「白金御用地」(現国立自然教育園)案などだった。
「多摩川右岸」というのは川崎市柿生一帯で、戦時中に宮城移転地にどうかという話題に上がっていた土地である。
比較的安価に買える点から、国民からの苦情も出にくいと考えられた。
さらには高尾、八王子の方まで下見に行った側近もいたが、いずれも決定打はなく、
従来通りに「お濠」のなかの武張った城塞に住みながら、敗戦後初の新年を迎えることになった。
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