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われ万死に値す ドキュメント竹下登 岩瀬達哉

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われ万死に値す―ドキュメント竹下登 (新潮文庫)/新潮社
¥460
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私が子供の頃に知っていた2人めの首相、竹下登氏
一人目は中曽根康弘氏で、「中曽根を泣かそうね」などと言葉で遊んでいました。
今考えれば恥ずかしい限りです

さて、私が子供の頃抱いていた竹下登さんのイメージといえば
「消費税導入」「リクルート事件」
ぐらいです。

この本では、竹下登さんが主に首相になるまでの伝記(とくに闇の部分)です。
が、私には竹下政権や竹下登氏に対しての前提知識が乏しいので正しいかどうかはわかりません。

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竹下さんは二人奥さんがいて、一人目は戦前に自殺されている。
本によると、竹下さんが当時東京に兵隊として出ていた。
竹下さんがいない間に、妻を亡くした竹下さんの父親が、
竹下さんの妻、政江さんに”干渉”しだしたという。
本では”干渉”としか書いていないが、文意から言えば、セクハラ(あるいはそれ以上)であることは明らかです。
政江さんはその相談に東京の竹下さんに会いにいくのだが、むげにされ、
ある日首を吊ったそうです。

政江さんが1945年5月23日に自殺したあと、
1946年1月に竹下さんは後妻の直子さんと再婚する。
結婚後まもなく直子さんは最初の赤ん坊を産む。
人事興信録によると長女が生まれたのは1946年4月29日
1945年8月末に復員し、翌年1月に結婚した二人の間の子供にしては計算が合わない。

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竹下首相の後の、女性問題ですぐ退陣した宇野首相の後、
海部俊樹さんが首相になる。
宇野さんも海部さんも派閥の領袖ではなく、両時代とも竹下登の強い影響下にあった。

竹下内閣時の石原元官房副長官は著書「首相官邸の決断」の中で次のように述べる
「海部内閣の場合、重要な政策課題に直面すると、自民党の発言が非常に影響しました。
海部さんはご自身の政治理念をしっかり持った人ですから、三木武夫さんの愛弟子として、
いわゆる平和路線を追求
される姿勢でしたので、
その辺が党とは必ずしも呼吸が合っていませんでした。
それが海部内閣を通じて、湾岸戦争やPKO(平和維持活動)法案などの問題が噴出したりして、
私自身、総理官邸と与党との間、内閣と与党との間の意見調整に随分苦慮いたしました。」

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竹下登は、田中角栄がリクルート事件で失脚した時を狙い、
田中派を分裂させ、自らの経世会を作って第一党になった。
田中角栄はその後脳卒中になり、政界を引退する。

中曽根内閣の後、後継者候補に竹下登が挙がっていたのだが、
政治結社の皇民党が、竹下登を褒め殺しにし、
嫌がらせをし続けていた。
竹下登は、佐川急便の会長佐川清を通して
稲川会会長石井進に依頼し、皇民党の運動を抑えることに成功する。

これが竹下内閣時代に発覚し皇民党事件となって世間を賑わせた。
さらにリクルート事件が発生し、
竹下が退陣を表明した翌日、秘書の青木伊平が自殺する。
それとリクルート事件について予算委員会で竹下が発言したのが、
「私という人間の持つ一つの体質が・・・悲劇を生んでおる、
これは私自身顧みて、罪万死に値するというふうに私思うわけでございます」

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青木の自殺には、いろいろな疑惑がある。
たとえば、縊死の場合は、必ず脱糞と精液で下着が汚れるものだが、それがなかった
などです。




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