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昭和天皇の御巡幸 鈴木正男

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この本は、昭和天皇が終戦後に全国(沖縄を除く。まだ米国の占領下だったため)を御巡幸されたときのことを綴っている本
日程も書かれていて、かなりの強行スケジュールのときも多く、感慨深い。

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天皇御巡幸を占領軍が許可したのは、占領軍には占領軍の思惑があり、それなりの計算があったからである。
「めがねをかけ、近眼で、猫背の小男を見れば、国民の天皇に対する信仰も崩れるだろう」
「ヒロヒトのお陰で父親や夫が殺されたんだからね。旅先で石の一つも投げられりゃいいんだ」
「ヒロヒトが40歳を過ぎた猫背の男ということを日本人に知らせてやる必要がある。
神様じゃなくて人間だということをね」
「それが生きた民主主義の教育というものだよ」
このような会話が当時GHQの交換の間で交わされていたという記録は、占領軍の政策がはっきりと天皇の権威の失墜にあったことを示している。

ところが御巡幸が始まってみると、彼らの期待はまったく裏切られた。
彼らは驚く以外になかった。
陛下が玉歩を運ばされるところ、御姿を仰ぎ、御言葉を拝し、泣かぬ民はなかった。
民は声を限りに「天皇陛下萬歳」を絶叫して止まなかった。
禁止されている日の丸(占領軍は昭和20年10月1日に使用禁止、翌年、宮中行事に基づく祝祭日にのみ認め、同24年1月1日、全面認可)も、
手製のものがあちこちで振られた。
至る所に土下座して陛下を拝む人々がいた。


ーー中略ーー
占領軍当局は、天皇と国民の結びつきがこれほどに固いものだとは知らなかった。
御巡幸には、常に占領軍の大佐級の高官と連合国側の新聞記者が同行したが、
この状況を逐一報告したことは勿論である。

彼らが期待した”人間天皇のおひろめ”などということは最初から吹っ飛んでしまい、
紙のごとき天皇、人間ではない神様であるという国民感情が爆発して、
もう手もつけられない光景が次から次へと展開するのに脅威を感じ、恐ろしくさえなった。

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この岡山県三日間の御巡幸でも至る所で感激的場面はあっと思われるが、
新聞はそれを何も伝えていない。
報道はごく表面的で事務的である。

ーー中略ーー
岡山市も倉敷市も高梁町も、どのくらいの人が集まったか人数の報道がない。

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蒋介石総統は昭和18年12月、米大統領ルーズベルト、英首相チャーチルとの会談において
対日戦終了後の戦後処理をいかにすべきか話し合った。
そのとき、天皇制については存続の意見を述べたが、東京裁判においては、
中国はソ連とともに最後まで天皇有罪論を主張し、陛下を戦犯として起訴すべしと迫った事実を我々は忘れてはならない。

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田中正明「東京裁判とは何か」より、米国検事キーナンの話

マ元帥(マッカーサーのこと)が余に語ったところによれば、もし天皇が証人として出廷させられたならば、おそらく、われわれが証拠によって見いだした彼(天皇)に有利な事実をすべて無視し、
日本政府のとった行動について、自ら全責任を引き受けられるに違いない。
すなわち証拠によって天皇は、立憲国の元首であり、
憲法上また職責上必ず側近者の補佐に基づいて言動しなければならなかったことが証明されているが、
それにもかかわらず、天皇がもし出廷されたら、このようなことを自己弁護されず、
臣下に責任はない。すべては自分の責任であると証言されるに違いない。

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