この本はとても面白い
ジャガイモがユーラシア大陸、つまりアジア・ヨーロッパにもたらされてからまだ500年そこそこなのにビックリした。
そもそもこれはアメリカ大陸からもたらされたもので、
ジャガイモの語源は、ジャカルタの古名であるジャカトラから来た芋という意味なのだそうです。
巻頭の言葉によれば、KGBはソ連ゴルバチョフ政権でのクーデターの際に、
今年はジャガイモが豊作のため、KGBが農民の収穫を手伝えば農民が畑を離れることはあるまい、という計算もいれてクーデターをしたというから驚きだ。
ジャガイモは、栄養価が高く、簡単に育つが病気に弱い
19世紀半ば、ジャガイモがヨーロッパ中に普及した中で発生したジャガイモ疫病で多くの餓死者がでました。
1841年から1851年に至るまでにアイルランドでは250万人ほどがいなくなった。
全人口はおよそ900万人ほど
250万人のうち、100万人は移民、ほかは飢饉および関連する病気で死亡した。
100万人の移民のなかに、J・F・ケネディの曾祖父、パトリック・ケネディがいたそうです。
(ロナルド・レーガンの祖先も)
ノルマ、という言葉はロシア語で「作業量基準」
シベリア抑留された日本人捕虜が伝えた言葉というのをこの本で知った。
作業現場ごと、作業内容ごとに厳しくノルマが課せられていて、彼らにとっては呪詛を込めて伝えられている。
こうしたことが背景でこの言葉には否定的な響きがあるんですね
=====================
ドイツではジャガイモの普及のために暴力まで活用して無理矢理民衆に栽培させた。
これに対してフランスでは・・・
「奇策」も採用された。
ルイ十六世と王妃マリー・アントワネットは、パリ郊外にある2500アールほどの土地をジャガイモ栽培用としてパルマンティエに提供した。
柵で厳重に囲った畑で、ジャガイモが育ち、緑の葉が茂ると、野次馬が集まり出す。
昼間は銃を持った警備の兵が畑を物々しく守った。
「これほど厳重な警備をするからにはうまいものに違いない」
と、周囲の農民や野次馬はささやきあう。
その一方で、夜間は警備の手を抜き、わざと盗むに任せた。
これはパルマンティエの計略だったとも、警備の兵が袖の下をもらって見逃したのだ、ともいわれている。
「なるほど、悪くない」
そんなジャガイモの評判が広がっていく。
ここまで
フランス革命の直前でこういうことがあったとは知りませんでした。
ルイ十六世もいいこともしていますね
===============
さらにキリスト教文化圏では「ジャガイモは聖書に出てこない食物。これを食すれば神の罰が下る」との文化的偏見も加わる。
そんな迷信や偏見をはねのけ、ヨーロッパにジャガイモが広がったのはひとえに、
うち続く飢饉と戦争のゆえだ。
背に腹はかえられない。
飢えを前に民衆は、次第に迷信や偏見を乗り越えていくのである。
==================
韓国はほとんどジャガイモ食べないんですね
ジャガイモの栽培は、種芋を地中に植え付けることから始まる。
万一、種芋がウイルスや病害虫に侵されていれば、収穫されるジャガイモは全滅となる。
このため我が国では指定種苗制度に基づき、種芋の生産と流通は、
独立行政法人種苗管理センターによって、厳重に管理されている。
ここまで
これも安全保障の一環ですね
================
本多順次はイルクーツクで日露戦争の時、日本の捕虜になった経験を持つロシア人の老人に会う。
自分の小屋に本多を招き入れた老人は、自分は日露戦争で捕虜となり、日本国のサカイという土地に連れて行かれ、そこでよい待遇を受けた、と懐かしんだという。
そのうえで、ストーブの上にジャガイモを次々と並べて焼き、どんどん食えと勧める。
さらに帰り際に声を落とし、
「明日の朝早く向こうの廃車トラックに行ってみろ。ジャガイモを袋一杯に詰めておく」
「自分がサカイにいた頃は、今の君たちのように苦しくはなかった。そのときのお礼だ」
と言ったという。
そしてジャガイモは老兵の言ったとおり廃車の上にあった。
本多はこう結んでいる。
人道とか正義とかを口にすることは簡単である。
しかし、一方が勝者となり他方が敗者に追い込まれたとき、はたして勝者が人間らしく振る舞うことができるかどうか。
私は右の老兵になにかしら尊いものを教えられたような気がした。
ジャガイモがユーラシア大陸、つまりアジア・ヨーロッパにもたらされてからまだ500年そこそこなのにビックリした。
そもそもこれはアメリカ大陸からもたらされたもので、
ジャガイモの語源は、ジャカルタの古名であるジャカトラから来た芋という意味なのだそうです。
巻頭の言葉によれば、KGBはソ連ゴルバチョフ政権でのクーデターの際に、
今年はジャガイモが豊作のため、KGBが農民の収穫を手伝えば農民が畑を離れることはあるまい、という計算もいれてクーデターをしたというから驚きだ。
ジャガイモは、栄養価が高く、簡単に育つが病気に弱い
19世紀半ば、ジャガイモがヨーロッパ中に普及した中で発生したジャガイモ疫病で多くの餓死者がでました。
1841年から1851年に至るまでにアイルランドでは250万人ほどがいなくなった。
全人口はおよそ900万人ほど
250万人のうち、100万人は移民、ほかは飢饉および関連する病気で死亡した。
100万人の移民のなかに、J・F・ケネディの曾祖父、パトリック・ケネディがいたそうです。
(ロナルド・レーガンの祖先も)
ノルマ、という言葉はロシア語で「作業量基準」
シベリア抑留された日本人捕虜が伝えた言葉というのをこの本で知った。
作業現場ごと、作業内容ごとに厳しくノルマが課せられていて、彼らにとっては呪詛を込めて伝えられている。
こうしたことが背景でこの言葉には否定的な響きがあるんですね
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ドイツではジャガイモの普及のために暴力まで活用して無理矢理民衆に栽培させた。
これに対してフランスでは・・・
「奇策」も採用された。
ルイ十六世と王妃マリー・アントワネットは、パリ郊外にある2500アールほどの土地をジャガイモ栽培用としてパルマンティエに提供した。
柵で厳重に囲った畑で、ジャガイモが育ち、緑の葉が茂ると、野次馬が集まり出す。
昼間は銃を持った警備の兵が畑を物々しく守った。
「これほど厳重な警備をするからにはうまいものに違いない」
と、周囲の農民や野次馬はささやきあう。
その一方で、夜間は警備の手を抜き、わざと盗むに任せた。
これはパルマンティエの計略だったとも、警備の兵が袖の下をもらって見逃したのだ、ともいわれている。
「なるほど、悪くない」
そんなジャガイモの評判が広がっていく。
ここまで
フランス革命の直前でこういうことがあったとは知りませんでした。
ルイ十六世もいいこともしていますね
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さらにキリスト教文化圏では「ジャガイモは聖書に出てこない食物。これを食すれば神の罰が下る」との文化的偏見も加わる。
そんな迷信や偏見をはねのけ、ヨーロッパにジャガイモが広がったのはひとえに、
うち続く飢饉と戦争のゆえだ。
背に腹はかえられない。
飢えを前に民衆は、次第に迷信や偏見を乗り越えていくのである。
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韓国はほとんどジャガイモ食べないんですね
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ジャガイモの栽培は、種芋を地中に植え付けることから始まる。
万一、種芋がウイルスや病害虫に侵されていれば、収穫されるジャガイモは全滅となる。
このため我が国では指定種苗制度に基づき、種芋の生産と流通は、
独立行政法人種苗管理センターによって、厳重に管理されている。
ここまで
これも安全保障の一環ですね
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本多順次はイルクーツクで日露戦争の時、日本の捕虜になった経験を持つロシア人の老人に会う。
自分の小屋に本多を招き入れた老人は、自分は日露戦争で捕虜となり、日本国のサカイという土地に連れて行かれ、そこでよい待遇を受けた、と懐かしんだという。
そのうえで、ストーブの上にジャガイモを次々と並べて焼き、どんどん食えと勧める。
さらに帰り際に声を落とし、
「明日の朝早く向こうの廃車トラックに行ってみろ。ジャガイモを袋一杯に詰めておく」
「自分がサカイにいた頃は、今の君たちのように苦しくはなかった。そのときのお礼だ」
と言ったという。
そしてジャガイモは老兵の言ったとおり廃車の上にあった。
本多はこう結んでいる。
人道とか正義とかを口にすることは簡単である。
しかし、一方が勝者となり他方が敗者に追い込まれたとき、はたして勝者が人間らしく振る舞うことができるかどうか。
私は右の老兵になにかしら尊いものを教えられたような気がした。