8月23日の言論テレビにおいて、櫻井よしこさんと元駐日韓国大使館公使の洪熒さんが、
「北朝鮮スパイの在日早大客員教授がなんと死刑判決から無罪へ」
にて紹介されていた本
いやあ、仮に本当だとすれば、日本とはなんと太っ腹なんだぁ(嘘)
北朝鮮のスパイが大学で教鞭に立てるとは・・・
正直な話、韓国の反北朝鮮派側の話を100%信じるつもりもないが、
読めばわかるがこの著者は
最悪のケースで言っているように北朝鮮のスパイ
良くても、反日左翼学者
であるので、本の中に書いてあることは悪く受け取っても、まあ問題無いと思いました。
先の言論テレビでは、
在日の早稲田大学の客員教授である著者は韓国留学中にスパイ容疑で逮捕され、
死刑確定するも、特赦で釈放され、
1991年「汎民連」海外本部長次長(平壌指令で活動)
2012年再審請求し、2013年ソウル高裁で無罪
となったようです。
仮に、洪熒さんの言っていることが正しい場合、
韓国の司法は既に左翼、親北朝鮮派に支配されている事になります。
メディアはとうの昔に支配されていますし、
政治も軍部も怪しい状況です。
著者の年表を当時の政権と照らし合わせると、
75年、朴正煕政権で逮捕され、77年死刑判決
82年、全斗煥政権で無期懲役に減刑
88年、盧泰愚(ノ・テウ)政権で仮釈放
2012年、李明博(イ・ミョンバク)政権で再審請求
2013年、朴槿恵(パク・クネ)政権で無罪に
下は最低でも反日左翼学者としての発言だとして捉えておくこと
韓国の反北朝鮮派も、勢力争いの一環で動いている可能性もあるので、
洪熒さんのことを100%信じるのもやめたほうがいいと思う。
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朝鮮総連や北朝鮮との関連を追及されても、釈明のしようがありません。
高校の先輩や同僚に朝鮮総連の関係者がいました。
夏休みに日本に戻れば、あって色んな話をしたのは事実です。
民族問題に関心のある若者が出会うのだから、当然ながら、
政治問題も論じたし学生運動が話題にもなりました。
ーー中略ーー
「私が会った人間は対南工作の指導員で、
私は高校時代に彼らの影響を受けて工作員となった。
そして母国留学生を偽装して韓国に侵入し、
学生たちを先導して地下組織を結成する任務を帯びていた。
国家機密を収集する指令も受けており、何年にもわたって暗躍した北朝鮮のスパイだ」
という筋書きが、時間をかけて、あらゆる苦痛を加えながら、
精巧なものへと仕上げられていきました。
ここまで
あくまで著者の言い分は、当時の政府が彼をそう思っていた、ということ
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国内の反独裁民主化運動は、あくまでも「国是(反共)」を前提にした運動でした。
私たちはその枠を超え、北朝鮮の政権承認と平和共存、
南北の二体制による連邦制統一といった志向性を強く主張していたのです。
これは決して、北朝鮮の政治体制を支持し、その路線で統一することを意味しません。
日本で生まれ育ったものの立場では、武力によらない平和統一への最も確実な道だと思えたのです。
「赤化統一」が不可能なように、「反共統一」や「北進統一」も、非現実的なスローガンだと
確信していました。
この点は、いくら拷問されても、死刑判決を受けても、譲歩できないことです。
ここまで
完全なアカですね
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1980年5月18日から27日までの10日間、戒厳軍の無慈悲な殺戮に対抗し、
光州の民衆は武器を取り、市民軍を組織して戦いました。
ーー中略ーー
政府は光州市民の戦いを”暴動”と呼び、
御用新聞は”北朝鮮のスパイが裏で先導している”とまで報道しました。
27日の未明、空挺旅団の一斉攻撃を受け道庁の市民軍は制圧されます。
ーー中略ーー
光州市民のたたかいとその「5・18精神」は、韓国民主化運動の象徴となって引き継がれました。
光州事件から7年後の1987年6月、韓国民衆は不屈の精神でファッショ政権に立ち向かい、
民主化の時代を切り開いたのです。
ここまで
この事件を洪熒さんは「共産主義革命」のような感じで発言していた。
たしかに、親北朝鮮派のメッカである光州での事件なので
個人的にもそのような印象を受けなくもない。
ただ、まだ事情をよく知らないので結論は保留です
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死刑台から教壇へ 康宗憲
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