大学の教科書、といった感じで何がいいたいのかよくわからない本でした。
内容はタイトル通り
日本海軍が日本海海戦に大勝すると、アメリカの世論やアメリカ海軍の対日観は一転した。
日本海海戦三日後にニューヨーク・サンは、
今や日本海軍が一挙に世界の海軍中に卓越した地位を占めるに至った、
世界第一のイギリス海軍といえども凌駕せられる日遠からず、
此の時にあたり、我が国の如きは果たして日本海軍に当たることを得るやいなや、
要するに5月27日および28日両日の海戦は、
20世紀における文明世界の大勢を一変するに至らしめたと報じた。
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日露戦争以後の激しいアメリカの反日圧力や日米戦争論の影響を受け、
徐々にアメリカの脅威を顕在的なものと感じ仮想敵国視化を強めていった。
しかし、1907年4月に裁可された「帝国国防方針」では、
「将来の敵と想定すべきものは露国を第一とし、米独仏の諸国これに次ぐ」と、
アメリカを仮想敵国としながらも、
「米国は我が友邦としてこれを保持すべきものなりといえども、
地理、経済、人種及び宗教などの関係より観察すれば、
他日激甚なる衝突を惹起することなきを保せず」
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第一次大戦中、日本海軍はオーストラリアやニュージーランドの警備についたが、
オーストラリアは日本海軍の活動状況の公表を嫌った。
これは、ヒューズ首相が
「”White Austraria"(白豪)主義を標榜し鮮明なる排日主義を表現し日本を冷遇」
してきたのに、日本海軍によって自国が警備されていることを国民に知られるのは、
「過去における自己の言を裏切」り、「自己の不明を表白すること」であったからであり、
それは「党略の許さざる処」であり、
「わが海軍の進出に対しては恰も『痛し痒し』の間にありて、
正直にこれを感謝する能わざる境遇にあり」と
山路司令官はヒューズ首相の心境を分析している。
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世界海戦史上、最初の鉄甲艦の近代的海戦である黄海の海戦に勝ち、
日本海海戦で白色人種・キリスト教徒に完勝した高い練度と厳正な規律、高い稼働率
を持った日本海軍に、ハワイや地中海で接したアメリカ海軍は、
戦友としての信頼や畏敬の念は持ったが、
ドイツ海軍なき後には日米海軍しか太平洋には残らないという世界情勢、
「ドイツの次は日本」との情勢が現出し、畏敬の念は脅威やライバル意識へと変わった。
戦前の反日排日に、戦後はさらに恐日が加わってしまったのであった。
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日英同盟の解消が此の流れをかえてしまった。
しかも皮肉なことに、海軍をイギリスから引き離してドイツに接近させたのが、
ドイツから賠償として入手した潜水艦であり航空機であった。
海軍は戦利品として7隻の潜水艦を受領したが、特に注目したのは建造段階にあった
排水量2000トンの大型潜水艦と機雷敷設潜水艦であった。
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第一次世界大戦と日本海軍 平間洋一
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