いわゆる学生運動について深く知りたいと思って借りてきた本
まだ上巻だが、これだけで1000頁近くあって、非常に読むのに時間がかかる
上巻がいわゆる学生運動が起こるまで
安保闘争から各大学での闘争までを追っている。
下巻は大学紛争後の出来事を追っているようだ。
この本で知ったのだが、日本で一番の難関校といわれる神戸の灘高校は、戦前は無名の私立学校だったとのこと。
戦後に小学区制が導入され、名門公立校がない地域の優秀な人がこぞって集まるようになったためだという。
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60年代
音楽評論家の三好伸一も、
「ぼくら、ビートルズ・ジェネレーションっていわれるけど、そのころのビートルズは決してメジャーじゃなかったですね。
ファンって、クラスにひとりかふたりくらい、いや、もっと少なかったかも知れない。
だから、売り上げも限られていた」
と述べている。
恩蔵が当時のレコード会社担当者に聞いたところ、ビートルズのレコードの売り上げが悪いため、
マスコミ向けの発表には「ゼロをひとつ余計につけたこともある」とか、
「水増しした売り上げ枚数を書いた書類にマル秘のハンコを押し、
来社したマスコミの記者の目につくように、机の上にわざと少しだけ見えるようにしておいた」という。
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1967年の報道は、
「大学生が子どもっぽくなり、大学が幼稚園化した」
「今日の大学生は、まぎれもなく、過剰保護、温室栽培によって育てられた人間である」
と形容している。
教授たちは、大学進学率の低かった時代の、社会のエリートとしての自負を持った大学生たちを懐かしんでいた。
教授たちには、60年代半ば以降の学生たちは、何の目的もないまま入学してきた、無気力な「現代っ子」としか映らなかった。
ここまで
いつの時代も同じようなことが言われている。
無気力な「現代っ子」と呼ばれた人たちがいい大人になると、下の世代をまた無気力な「現代っ子」と呼ぶのだろう。
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第1章でも述べたが、高度成長のさなかとはいえ、給食費を払えないなど貧しい家庭の子弟は少なくなかった。
重信房子のようにそうした子弟自身が活動家になったり、永田洋子のようにそうした級友への同情が社会に目を向ける契機になっていたことがわかる。
ここまで
重信房子、永田洋子は日本赤軍のテロリスト
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