この本はなかなかおもしろかった。
私の知らない第二次大戦でのチャーチルの動きを知った(とは言っても確証はまだないが)
1930年代、アメリカはドイツに多額の投資を行っていた。
化学会社デュポンはドイツに三社提携企業があったが、いずれもドイツの兵器ビジネスに携わっていた。
その筆頭はIGファルベンで、この会社はドイツ政府との関係が強く、アメリカへのプロパガンダを行っていた。
スタンダード石油もドイツに多額の投資を行っていた。
こうしたことから、この本はアメリカがヒトラーを育てた、と直接的にではないが言っている。
しかし、アメリカはその随分前から企業がグローバル化し、
国よりも自分の収益のことを重視しだしていた。
国に対してもロビー活動を通じて自社の利益になるよう働きかけていた。
こうしたことからアメリカ自体がヒトラーを育てたとするのは言いすぎな気はする。
また、企業はヒトラーを育てる意思などなく、単に投資リターンを最大化したかったのだろう。
IGファルベンがアメリカへのプロパガンダを行っていたとしても、
アメリカはロビー活動を合法的にオープンにしているのだから非難されることもない。
面白いのが、アメリカには有名な投資銀行があり、その名を
ブラウン・ブラザーズ・ハリマン(以後、BBH)という。
桂ハリマン協定を結んで小村寿太郎に破約された当事者の1人、ハリマン財閥関連の投資銀行です。
このBBHの社長だったのがプレスコット・ブッシュ
前アメリカ大統領の祖父です。
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1930年代、特に30年代後半のイギリス政界では、
ドイツとの関係改善を求める勢力が主流派を占めていた。
彼らは共産主義ソ連を封じ込めるために、強力なドイツが出現することを歓迎していた。
そこでこうしたイギリス政界のリーダーたちは、
ドイツに有利な形でヴェルサイユ条約を改正することに賛成し、
ヒトラーに譲歩することによって、イギリスとドイツの緊張関係を和らげようと考えていた。
こうしたイギリスの対独政策は、一般に「宥和政策」と呼ばれている。
ーー中略ーー
1937年にイギリスの首相に就任したネヴィル・チェンバレンは宥和派の雄で、
このヒトラーの進撃を黙認するのみであった。
チェンバレンら宥和派の政治家にとって、ドイツが中欧を飲み込み、
ソ連との間に「防波堤」ができることは、むしろ歓迎すべきことだったのである。
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チャーチルが首相就任後に出した最初の命令の一つに、
「ロンドンにあるアメリカ大使館の暗号文書係を逮捕せよ」
という指令がある。
この暗号文書係の名はタイラー・G・ケント。
ケントはロンドンからワシントンの国務省へ急送する極秘電報を扱っていた
ロンドンの駐英アメリカ大使館の暗号係だった。
ケントは徹底した孤立主義者であり、過激な反ユダヤ主義者でもあった。
彼は、ルーズベルト大統領とウィンストンチャーチルの間で交わされた
秘密の通信を見るうちに、
「大統領がチャーチルと共謀してアメリカを参戦させようとしているのではないか」
と信じるようになった。
そこでケントはアメリカ上院議会にこの危機を警告するために、
ルーズベルトーチャーチル間の交信記録をコピーし始めたのだった。
ケントはまた、ロンドンの亡命ロシア人組織とも接触し、
特にアンナ・ウォルコフという名の白系ロシア人女性と頻繁に接触していた。
ロシアからの亡命者であるウォルコフは、
親ナチス反ユダヤの右翼団体ライト・クラブのメンバーとして登録されていたため、
イギリス情報局MI5の監視下におかれていた。
ーー中略ーー
MI5を通じてこの動かぬ証拠を掴んだチャーチルは、駐英アメリカ大使館の
ケネディ大使にこの事実を突きつけ、ケントの外交官特権を剥奪させ、
1940年5月20日にこの若き暗号係を逮捕した。
続く5月22日には、アンナ・ウォルコフやアーチボルト・ラムジーを含む
ライト・クラブの会員をことごとく逮捕しブタ箱にぶち込んだ。
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アメリカ合衆国第35代大統領ジョン・F・ケネディの父親ジョセフ・P・ケネディは、
長い間ウィンストンチャーチルにとって目の上のコブであった。
ケネディはヒトラーの大ファンになり、イギリスやアメリカに根を張る
親ナチス派の間に広範なネットワークを築いていたからである。
ーー中略ーー
ロンドンに着いたケネディは、たちまち宥和派の雄ネヴィル・チェンバレン首相と
親交を深める。
ーー中略ーー
市場を知り尽くしたこの二人は、戦争にはとてつもなく経済的な負担がかかること、
戦争が、「儲かる」ドイツとのビジネスを台無しにしてしまうことを心得ていた。
そこでケネディ大使は、チェンバレン首相の対独宥和策を心から支持したのだった。
ーー中略ーー
イギリスの情報局MI5は、実は既に長期間にわたってケネディの行動を監視していた。
というのもMI5は、「ロンドンのアメリカ大使館内部に、ドイツ情報機関のスパイがいる」
という確かな情報を得ていたからである。
MI5はこのドイツのスパイを、暗号名で「ドクター」と呼び、
この「ドクター」の正体を調査し続けていた。
ーー中略ーー
無数の情報を分析した結果、ケネディの右腕エドワードムーアが、
このナチスのスパイである可能性が最も高かった。
ーー中略ーー
そして暗号係ケントが逮捕された直後、1人の人物が大使館を去りアメリカへ帰っていった。
ケネディの側近を25年間継続して務めてきたエドワードムーアである。
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チャーチルはナチスとの対決の道を選択したが、
客観的に見てイギリスの形勢は不利であった。
統計的に当時の英独の国力を比較してみよう。
第二次世界大戦前夜のドイツは、人口が8千万人でそのうち労働人口は4100万人いた。
対するイギリスは人口が4600万人で労働人口はドイツの半分にも満たなかった。
ドイツの1938年時の総所得は、時価換算で72億6千万ポンド、
イギリスのそれは52億4200万ポンドであった。
さらにドイツは軍事費としてイギリスの5倍の予算を充てていた。
ドイツの17億1千万ポンドに対し、
イギリスの軍事予算はわずかに三億5800万ポンドに過ぎなかった。
加えてドイツでは、ヒトラーが導入した大規模な公共事業と再軍備計画により、
1936年末までにほとんど完全雇用が実現していたが、
イギリスでは第二次世界大戦勃発時の1939年9月に130万人もの失業者がいた。
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第一次世界大戦前、イギリスはウイリアム・ワイズマン卿というスパイをアメリカに送り、
アメリカを戦争に引きこむためのプロパガンダ、情報活動を行わせたが、
チャーチル首相はこの先達の例にならい、ウイリアム・S・スティーブンソン、
暗号名で「イントレピッド」と呼ばれたカナダ生まれの紳士を、
アメリカ合衆国に送り込んだ。
ーー中略ーー
「イントレピッド」が持つ数多くのビジネス利権の中で、
情報活動という観点から最も重要なものは、
自動車のスチール・ボディを製造していたプレスト・スチール社であった。
当時、この会社はイギリスの主な自動車メーカーのボディ部分の
実に90%を製造していたというから驚くべき会社である。
このスチール・ビジネスを通じて「イントレピッド」は、ドイツがヴェルサイユ条約に違反して
大量のスチールを軍事産業向けに転用している事実を突き止めた。
ーー中略ーー
「イントレピッド」の本当の肩書は、南北アメリカにおける英情報活動の責任者で、
彼に与えられた任務は
・英秘密情報部MI6とアメリカFBIとの間で可能なかぎり高度な協力関係を築くこと
・西半球全体における敵国の妨害活動・破壊活動を迎え撃つこと
・イギリスが戦争を遂行する上で必要かつ十分な援助を保障すること
・そして最終的にはアメリカを参戦させること
であった。
ーー中略ーー
その活動を全面的にサポートしてくれるアメリカ人に恵まれた。
他ならぬルーズベルト大統領である。
ルーズベルト大統領は強硬な反ナチス思想の持ち主で、
「イギリスを助けるためにできるかぎりの援助をしたい」と考えていた。
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1996年9月、イギリス外務省は突然、
「スイスは大戦中にナチスが強奪した金塊の一部をいまだに隠匿している」
という驚くべき発表を行い、それ以降スイスは世界中の非難の声にさらされた。
ナチス・ドイツは大戦中、占領した国の中央銀行等から金塊を奪い、
それを中立国のスイスに運んで戦争に必要な物資の購入にあてていた。
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1998年12月23日付のAP電は、
「チェース・マンハッタン銀行とJ・P・モルガン商会が、
第二次世界大戦中にパリ支店を通じてナチスと協力し、
数百万ドルのユダヤ人資産を略奪したとしてホロコーストの犠牲者遺族から訴えられた」
とのショッキングなニュースを伝えていた。
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ユニオン・バンキングはつまり、アメリカン・マネーをこのオランダの銀行を通じて
ドイツに投資していたのである。
このユニオン・バンキングで社長を務めていたのが、
ジョージ・W・ブッシュ大統領の曽祖父にあたるジョージ・ウォーカーである。
「アメリカにおけるヒトラー支持者の1人」と言われたウォーカーは、
義理の息子であるプレスコット・ブッシュ(ジョージ・W・ブッシュの祖父)を
ユニオン・バンキングの役員に就けた。
ーー中略ーー
こうしたユニオン・バンキングのナチスとの関係は、
アメリカの参戦後も絶えることがなかったため、
アメリカ企業による敵国との取引を取り締まっていたアメリカ政府の目に留まった。
そしてアメリカが大戦に引きずり込まれてから10ヶ月が経った1942年10月、
ユニオン・バンキングは遂に政府の差し押さえ命令を受けた。
ーー中略ーー
ユニオン・バンキングは政府の外国資産管理局の管理下に入れられ、同時に、
ローランド・ハリマンやプレスコット・ブッシュが同社に持っていた株も差し押さえられた。
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アメリカはドイツ占領期に、ドイツ企業が保有していたパテントや科学データ、
それに技術ノウハウ等の財産を奪い取り、アメリカ産業界の発展に役立てていた。
1947年に開催されたモスクワ外相会議で、当時のモロトフロシア外相が、
西側連合国のそうしたドイツ財産の搾取額はざっと見積もって100億ドルにのぼる
と公言していたが、ドイツ占領期のアメリカの政策を調べた歴史家ジョン・ギンベル
によれば、このモロトフの見積もりはかなり現実に近い数字であったという。
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1946年初頭までに、正確な数字はわからないものの、
少なく見積もっても150人にのぼるドイツ人科学者や技術者がアメリカに連れて来られ、
アメリカの科学技術の進歩・発展に貢献した。
しかしアメリカ政府当局はすぐに、彼らの専門知識が予想以上に利用価値が高く、
短期間でドイツに帰してしまうのはもったいないことに気がついた。
ーー中略ーー
1946年9月6日、トルーマン大統領は、暗号名で「ペーパークリップ作戦」と呼ばれた
ドイツ人科学者の長期利用計画にゴーサインを出し、
「アメリカの国益」と「安全保障上」必要とされたドイツ人及びオーストリア人科学者や技術者を
移民法のもとでアメリカに入国させることを許可したのだった。
しかしここで問題となったのは、こうしたドイツ人科学者たちの中に、
大戦中に強制労働や人体実験などの戦争犯罪に関わった人物が多数含まれていたことだった。
「ペーパークリップ作戦」は表向き、
「ナチズムや軍国主義の積極的な支持者にはアメリカへの入国を認めない」
という条件がつけられていたのである。
そこで政府当局は、候補者のファイルにこの条件に抵触しそうな箇所があった場合は
すみやかに削除し、また新たに作成される書類には、
候補者の承認却下につながりそうな否定的な情報はいっさい掲載しないよう細工をして、
戦争犯罪者であってもアメリカに入国できるようにしたのだった。
ーー中略ーー
その代表的人物の1人がヴァルター・ドルンベルガー将軍である。
ーー中略ーー
1947年、ドルンベルガーはアメリカ空軍の手で密かにアメリカに連れて来られ、
オハイオ州デイトン近郊の空軍基地で秘密のロケット計画に参加した。
そして50年にはベル航空会社の研究所に移り、
その後にはベル・エアロシステムズ社の副社長を務めた。
また59年にはアメリカ・ロケット協会の宇宙航空科学賞を受けるなど、
80年6月に永眠するまで、アメリカ市民として栄誉ある人生を全うしたのである。
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アメリカはなぜヒトラーを必要としたのか 菅原出
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