インドのスラムを取材していた時、そこに売春宿がありました。
女性が二十人、子供が五人ぐらい住んでいました。
子どもたちは夜は親の売春の手伝い(ベットメイクなど)をしていましたが、
昼間はしっかりと学校へ行っていました。
そのスラム全体の就学率は二、三割でしたから、
売春宿で育つ子供たちだけが全員通学していることは驚きでした。
売春宿の子供のほうが恵まれた生活をしているわけです。
ある日、私は売春宿の女性と店先で立ち話をしていました。
その時、なにげなく
「子供に売春の手伝いをさせるのは教育的に良くないのではないか」
と訊いてみました。
頭の片隅に売春宿の子供をどうしても擁護したい気持ちがあったのです。
すると、その助成は本気で怒って次のように答えました。
「わたしは、娘を絶対に売春婦にさせたくないの。
だから、いま売春婦になって働いているのよ。
そうすればご飯も食べさせてあげられるし、日中は学校へ通わせてあげられるでしょ。
たぶん、娘が大きくなれば、売春婦であるわたしを軽蔑すると思うわ。
けどそうなってくれれば、彼女が売春婦になることはなくなるはずだわ。
そうやってしっかりとした人間になってくれれば良いのよ」
それから六年して同じ所へ行ってみました。
すると、その娘さんは美しい高校生になってペラペラの英語で私を迎えてくれました。
スラムの子供たちの多くが初等教育すら受けていないのに、
売春の子供たちだけは高校へ進んで、しっかり勉強していたのです。
もちろん、その中に売春婦になったような子はいませんでした。
私はこの時以来、売春宿に暮らす子供たちを一方的に
「かわいそう」だと考えるのは失礼にあたるのではないかと思うようになりました。
そもそも第三者が「かわいそう」「悲惨」という考え方を押し付けた所で
何の意味もなさないのです。
すくなくとも、彼らに会ってからそう考えるようになりました。
「絶対貧困」 石井光太より
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途上国の売春宿の子供たち
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