ダーウィンの進化論を発表した本が、この「種の起源」
ダーウィンの進化論ですぐ思い浮かぶ考えとは、「ヒトは猿から進化した」
というもの
しかし、種の起源にはそのようなことは「一切」書かれていない。
ダーウィンはヒトについて書いているのはその本の最後の方に
「やがて人間の起源とその歴史についても光が当てられることだろう。」
と書いたに過ぎない
それを読者が勝手に想像し、
「ダーウィンは、人が猿から進化した、などという不届きなやつだ」
とレッテルを貼ったのだろう。
あるいは、この本が全ての生物が単一の生物からそれぞれ進化してきた
ということを書いているので、本を批判する、あるいはダーウィンを社会的に抹殺するために
「本を読まない人にとって刺激的な言葉」を作ったのかもしれない。
さて、この「種の起源」、内容は別に学術書でもなんでもない。
この訳者の腕かもしれないが、スイスイと読める。
まあ、わからない生物の名前が来たら飛ばせばいい。
なぜスイスイ読めるかといえば、この「生物が進化してきた」
という考えが少なくとも日本においては「普遍的なもの」であるからに他ならない。
などと考えると、最近の歴史問題などに通じるものがあるのです。
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飼育栽培されている変種や亜変種の個体どうしのほうが
一般に変異がはるかに大きいということだろう。
つまり野生状態とは大きく異なる気候条件や飼育栽培条件の下で育てられ、
世代を重ねる中で変異を増大させてきた動植物の多様性のほうがとても大きいのだ。
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あるいは、昔々、ある人は足の速いウマを求め、
別の人は体格のがっしりした力の強いウマを求めたとしよう。
当初の差異はごくわずかなものだったことだろう。
そこで、少しでも足の速いウマを選抜する作業と
少しでも力の強いウマを選抜する作業が続けられるうちに、
やがて両者の差異は大きくなり、二つの亜品種ができるほどまでになった。
そして何百年かを経て、二つの亜品種は二つの異なる品種と認められるまでになった。
そうした差異の増大は緩慢に進むため、足が速いわけでも力が強いわけでもない
中間的形質をもつ並の個体は、目にとめられることもなく姿を消していく。
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アマゾンアリというのは、他のアリを奴隷として使役する。
実験でアマゾンアリだけにした場合、餌が豊富にあろうが何もせず
ほとんどのアリは餓死したそうだ。
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本能は常に完璧というわけではないし、過ちを犯しやすいものだという事実。
他の動物の利益になるためだけに生み出された本能はないが、
どの動物も他の動物の本能を利用しているという事実
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「われわれが手にしている化石種の多くは、たった一個の、
それも多くは不完全な標本から記載されたものであったり、
どこか一箇所で見つかった数個の標本から記載されたものだ」
これは尊敬すべき古生物学者だった故エドワード・フォーブスの、
しっかりと心に留めておくべき言葉である。
地学的な探査が行われているのは全地表のうちのほんの一部に過ぎず、
しかも十二分に調べられている場所などどこにもない。
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種の起源 ダーウィン
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