浜口雄幸は昭和初期の首相で、海軍軍縮会議の結果を受けて暴漢に襲われ、亡くなっている。
実際には襲われた後、治ったかなと思ったものの、復帰初日にまた具合が悪くなり、
首相を辞職することになり、そこからしばらく経って亡くなっている。
この本はなくなるちょっと前まで書きためていた著者自身の記録をまとめたもの
浜口雄幸が非常な努力家であることがわかるところ
弁論の点に至っては、今でも然るが如く、その当時においては、最も不得手であった。
ーー中略ーー
石の上にも三年ということわざもあるとおり、演説も十五六年練習を経たから、
生まれながらの欠点を幾分か改良することが出来たまでである。
非社交的な性格の矯正といい、一二の例に過ぎないけれども、その他余の性格上の欠点は、一々ここには言わぬけれども多々あったのである。
これらのことは親兄弟にも知れぬように、ほとんど血の出るごとき大努力をなして自分自身に之が強制に努めた。
而してその努力にはそれぞれ相当の効果があったと信ずる。
世の中には、大志を抱きながら殆ど何らの努力をなさずして、自己の性癖のままに振る舞うものが少なからず見受けられる。
殊に近時の学生に至っては、その弊が最も甚だしいのではないかと思う。
要するに、余は、修養こそは人物を創造する唯一の途であると信ずるのである。
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余は常に思う。
我が国民は、打物取っての戦争には非常に強いが、牙籌を執っての平和の戦には驚くほど弱い国民である。
特に忍耐心が欠乏して居って忽ちに「しびれ」を切らす。
功を収むるに急にして、其の功を収むる原因たる努力・勤勉を厭う、
その上動(やや)もすれば自己の力を軽蔑して他力本願に走り、
第一の波に遭えば自ら奮って之に対応せんことを努むるも、
第二の波に遭えば直ちに悲鳴を挙げて政府の力に縋り、
それが意の如くならざればまた直ちに政府に対して怨嗟の声を放つ。
自己の無気力を棚に上げて、政府の無能無策を攻撃して得たりとなす。
臍下(せいか)に力なく、丹田は空虚なり、眼中血走って腰脚宙に浮く。
我が国民精神は本来それほど弱いはずはないのであると信ずるけれども、
近頃は時代の推移によって国民の精神即ち「心」に「ゆるみ」を生じたことは争うことの出来ない事実である。
自分の「ゆるみ」ほどの強敵は個人にとっても国家にとってもまたとあるものでない。
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