英国のモーリス名誉中佐は、1883年「宣戦を伴はざる戦争」(ロンドン、政府印刷局)
と題する労作を公刊して、
1700年から1872年までの間に起こった多くの戦争の開始を検討したが、
1904年4月、「19世紀以後」誌のうちに次のように書いている。
「数字的に言えば、私の比較的詳しく検討した期間を通じて、
英国は三十回、フランスは三十六回、ロシアは七回
(ただしトルコおよび支那を含む隣接アジア諸国に対する慣行的な無宣戦戦争は参入しない)
、プロシア(ドイツ)は七回、オーストリアは十二回、北米合衆国は少なくとも五回、
戦争開始の宣言を伴わない戦争行為を行なっている」と。
ーー中略ーー
また古典的なピット・コベットの「主要国際法判例集」(ヒュー・エル・ベロッと編集の1924年版)
の第二巻第十八ページには次のごとく述べられている。
「同時に調印国は、事前の宣戦なくしては絶対に戦争行為をなさざる旨を誓約したのではなく、
単に、交戦国相互間においては、戦争行為を
”事前かつ明瞭なる通告無くして開始すべきではないこと”を認めたに過ぎない。
その目的が開戦の宣言を発する権限を有する者との通信が困難な場所か、
または相手方が不意打ちであるといって非難する理由の存せざること
明白な状況の下において戦争準備もしくは行動を抑圧するために、
即時実力を行使する必要が生ずるような場合を除外せんとするにあったことは明らかである」と。
ーー中略ーー
各国の指導的政治家の言明、特にアメリカ上院におけるケロッグ長官及びボラー上院議員の
明瞭かつ疑いの余地を残さない条約案(ケロッグ・ブリアン条約、パリ不戦条約)
の説明に照らして、パリ条約締約国の意思が次の如きものであったことは明らかである。
1.本条約は自衛行為を排除しないこと
2.自衛は領土防衛に限られないこと
3.自衛は、各国が自国の国防または国家に危険を及ぼす可能性ある如き事態を
防止するため、その必要と信ずる処置をとる権利を包含すること
4.自衛措置をとる国が、それが自衛なりや否やの問題の唯一の判定権者であること
5.自衛の問題の決定はいかなる裁判所にも委ねらるべきでないこと
6.いかなる国家も、他国の行為が自国に対する攻撃とならざるかぎり
該当行為に関する自衛問題の決定には関与すべからざること
東京裁判 日本の弁明 小堀桂一郎より
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東京裁判における侵略戦争とは 高柳賢三弁護人冒頭陳述
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