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1937年7月7日 盧溝橋事件

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今日はところどころで、日中戦争の「発端」となった盧溝橋事件が話題になっている(こことか)
これは間違っている。
少なくとも、日本側からすれば間違っている。
ひと目で分かる日韓・日中歴史の真実 水間政憲
で明らかなように、盧溝橋事件はその4日後に和平協定を結んでいるので、
これが後に行われる事変・戦争の原因になるわけがない

支那事変(日中戦争)の発端となったのは、
第二次上海事変
です。
Wikiの冒頭を抜粋すると

盧溝橋事件により始まった華北(北支)での戦闘は、いったんは停戦協定が結ばれたものの、
7月25日の郎坊事件で停戦が破られると、
26日の広安門事件で日本人に犠牲者が発生し、
29日の通州事件では民間人を含む230名が虐殺されたことにより、
武藤章や田中新一ら拡大派が、石原莞爾や河辺虎四郎ら不拡大派を押し切った。
この事件以後華中(中支)において交戦が拡大することになった。

全くこのとおりだ、と私は考える。

もちろん、シナ事変自体を私は正当化しません。
それは、盧溝橋事件を含め、それ以降の事変に
コミンテルン及びシナ共産党の影が見られるためであり
ソ連が日本の目を北方からそむけるために「偶然にも」事故が多発し、
結果として終わりの見えない正義のない戦いに入ってしまったからです。
満州事変・満州国樹立までは、シナ人と満州人が違うのだから、
彼らのための国をつくること自体問題はなかった(当時の無知な欧米には理解できなかったが)。
しかし、日本の対シナ進出にはなんの意義も感じられません。
・他者によって扇動された
・戦いの意義がない
の2点において評価できないのです。

ただ、だからといって、盧溝橋事件を支那事変の発端であると考えるのとは全く異なります。
そもそも、東京裁判の途中で後の国家主席である劉少奇が、
「自分が命令した」と欧米の記者団に発言した、という話まで出ているくらいです。
まあ、共産主義によって始め「させられた」という意味においては
「発端」とも言えなくはないですが、
現状の日本で流布している歴史認識においては「発端」という言葉は容認できません。


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