今度東南アジアに行くので、ラオスの歴史を学ぼうと借りてきた本
だが、きわめて本が退屈だった
別の本を借りてこようと思う。
ラオス人民革命党は、フランス統治下の1943年に地下組織として設立されたヴィエトナム労働党(ヴィエトナム共産党の前身)のラオス支部にその根幹を持っており、
1955年3月に同支部がラオス人民党として独立組織となったあと、
さらに1973年にラオス人民革命党という名称に改められた、という経緯を持っている。
したがって、ラオス人民革命党はラオス革命劇に現れる前にすでに30年の歴史を持っており、
また、ラオス人民革命党はヴィエトナム共産党と兄弟関係の間柄にあることを特色としている。
ラオスの体制変革は、大きな流血事件を伴わずに進行したことから「静かな革命」とも称されている。
しかし、この「静かな革命」も相対的な静かさに過ぎず、革命体制樹立直後の2-3年は
ラオスの経済・社会は混乱に見舞われている。
これはラオスの政治体制と経済秩序の激変の中で、先行きに不安を抱いた
王国政府系の高級官僚・軍人・警察官を始め、実業家や知識人
或いは流通を担っていた華僑やタイ人の一部のものが国外に脱出したこと、
および先行きを見守るという姿勢をとったため、
ラオスの行政・経済がマヒ状態になったことによる。
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ラオスの歴史 上東輝夫
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