石原莞爾は1945年8月15日、敗戦の日の翌日、講演を行う。
当時の日本人としては、日本人の無敗神話は、イデオロギーというよりも、
敗北という体験がない(ないことになっている)ことからくる
一種の生活感覚、日常感覚となった不敗、
あるいは艱難辛苦があったとしてもついにはそれが報われるというが如き世界観
を根強く持っていた。
その感覚から逃れるのは、当時において、なかなか容易ではなかっただろう。
そういう聴衆にたいして、何を示すべきか。
石原は、演壇に運び込まれて語りだした。
なぜ日本が敗れたのか、ということについて。
それは、物量の不足、戦略の拙劣という問題だけではない。
もちろん、それは現実の要素として作用したとしても、本質的にはより精神的なもの、
徳義のためではないか。
大戦に至る過程での、そして大戦の下での、国民道徳の驚くべき低下こそが、
この敗戦の根本原因ではないのか、と石原は語った。
敗戦にひしがれ、祖国の為にささげたさまざまな貴重なものを、誰もが思い返しているときに、
石原の言葉は、冷たく、厳しく聞こえた。
だがまた、誰もが、敗戦という冷たく厳しい事態に直面せざるを得ないということも事実であった。
われわれは本当に、徹頭徹尾正しく、正しいのにもかかわらず敗北したのか、
石原は問う。
だが、その問は、いたずらに、無責任に、敗北という現実に乗じて、これまでの営為のすべてを否定してしまうための問ではなかった。
石原は幕末維新以来の、日本の歴史の基本的なモチーフ、
つまりはアジアの解放と連帯を肯定し、救うためにこそ、
日本人の道徳的低下を厳しく見るというのだ。
たとえば宮崎滔天や宮島詠士のような人物たちに比べて、大戦下の日本人は高潔だったといえるのか。
今こそ、アジア主義の原点に戻って、自分たちの倫理を問いなおすべきではないのか。
石原は、国体への信仰を言う。
敗戦において、今一度、国体への信仰の大事さを石原は語った。
世上、おそらく、これまで国体、国体を叫び、掲げていたものたちが、一斉に鳴りを潜め、
あるいはひそめるどころか、進んで踏みにじるだろう。
だが、今日こそわが国の国体の貴重さ、尊さに思いを致すべきではないか。
その貴重さとは、言うまでもなく占領軍が、皇室に見出した利用価値のようなものではない。
日本の国体が維持してきた、本質的に王道的な性格、
つまりは徳義を重んじ、覇道的な力づくや策略を排する姿勢が、今こそ意味をもつのである。
先に言った国民道徳の低下とは、とりもなおさず、
国民全体が覇道的な、力への信頼、強さの誇示を価値の中心とし、
徳が力を圧倒するということを、信じなかった、そのことにほかならない。
だとすれば、敗戦の暁に私たちが心しなければならないのは、国体からの決別ではなく、
むしろ、まったく逆に、国体の本義への帰依ではないか。
武力や策略への依存から、徳義への信頼へと転換する事こそが、必要なのである。
地ひらく 福田和也より
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石原莞爾 1945年8月16日の講演
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