以前、「地ひらく」で石原莞爾のことを学び、
もう少し彼の考えを知りたいと思って借りてきた本
少々、突飛な考えが目立つが、いろいろ共感できるところもありました。
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昭和20年8月28日毎日新聞 石原莞爾談
今、われらのなすべきことは何か、まず第一に敗戦の原因を直視することである。
恥じらいつつ他人に裸身にされる前に自ら自己欺瞞の衣服を脱ぎ、
身の皮をはいで敗戦の癌をつかみ出さねばならぬ。
私が信じ、国民また等しく直視するところの敗戦の最大原因は、
一に「国民道義の頽廃(たいはい)」にあった。
政治、生産、国民生活の各方面にわたって道義の低調ぶりが
いかに戦力を自殺せしめ挙国一致を阻害したか、
その一々の例は敢えてここに示さなくとも国民すべてが身辺に無数に経験したところである。
ーー中略ーー
かくの如く私は苦難の中に明るい希望を持つものであるが、
日本人が真にこの希望を具現しうるためには2つの条件が必要である。
その一つは日本人が心から懺悔をしてその後の清々しい謙虚さを持って再出発することである。
我執、我欲、自尊、中傷、嫉妬、縄張り根性など日本的悪徳を葬ることなくして日本の甦りはありえぬ。
その第二は神の摂理ともいうべき世界文化の過程を達観することである。
万物は流転し文化は進展して止まぬ。
現在の文化を固定して眺め、進化の実相を把握し得ぬ民族は落伍民族である。
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昭和22年12月15日「新日本建設大綱」の解説書として「われらの世界観」が国民党から発行
「領土の喪失」
台湾、朝鮮は元の枝に帰っていった。
日本の統治には実に懺悔しきれぬほどの罪悪がつきまとっていた。
しかし日本人の産業開発が相当の成果を挙げたことは、公平に認められてよいであろう。
昨日まではここからくる物資が我らの生活を助けてくれたし、沢山の同胞がこの地に暮らしていた。
それがこんにちはもう高い国境に隔てられた外国なのだ。
南樺太はあっさりとソ連の領土に編入され、千島列島も濃霧の彼方に見えなくなってしまった。
かつてこの近海は日本人の生活に欠くことのできない大漁場でもあったのである。
ーー中略ーー
「農民を友軍とすることは絶望」
ーー中略ーー
次に共産党は他人の攻撃は盛んにやるが真に農民を救済する具体案は持ってはいない。
最も根本的な彼らの主張である「土地を農民へ」は、
かえって所謂保守反動政府の手によって実現されてきた。
無償分配等の問題もあるが、一応一町歩の地主となった農民にとっては大した魅力とはならない。
更に農民の共産党に対する感情的反対も根強いものがある。
共産党第一のスローガンである「天皇制打倒」は、一般農民にとっては絶対許容し得ないものである。
日本人一般の国家的独立の要求や本能的愛国心と結びついているこの国民感情を
単に「反動的」として簡単にこれをかたづけていたずらに感情に走った言辞を弄する
共産党の態度は、、むしろその「科学的」という名に反するものと言わざるを得ない。
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人類後史への出発 石原莞爾
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