![]() 【楽天ブックスならいつでも送料無料】慰安婦と戦場の性 [ 秦郁彦 ] |
1999年の本だが、慰安婦問題で一番詳しい本なんじゃないでしょうか。
これで決定版と言っていいと思います。
政府はこの本英訳して、ごちゃごちゃ言う海外の人に配ったらいいと思う。
売春業界用語で初めて知ったのだが、娼妓(しょうぎ)という言葉があるそうだ。
本によれば、「客の要求に応じ貸座敷において自己の体を提供して金円を受ける婦女」のことなのだそうだが、初めて知ったのが吉原では「花魁(おいらん)」と呼んだ、と書かれている。
花魁とはいわゆる芸妓、つまり遊戯を提供している人で、そのなかに体を売る人もいたんだろう、と理解していたが、違ったようだ。
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昭和期に入る頃はカフェー、バーなどの女給やダンサーも売春婦予備軍とみなされ、
実際に娼妓などへ転身するものも少なくなかった。
ここまで
こうした事情があったから、クラブの深夜営業を禁止しているんでしょう。
戦前の少年犯罪の本とか見ると、この手の話が結構あった。
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この時代(昭和初期)の日本では、公娼の多くは親が前借金という名目で娘を売春業者に売る、
いわゆる「身売り」の犠牲者であり、その背景は広義の貧困であった。
ーー中略ーー
引き金になったのは、連年の凶作で、特に1931年は「天明の飢饉以来、北海道、青森は吹雪を前に餓死線上」(12月9日付東京朝日)と報じられた。
数十年ぶりの冷害が襲った1934年は「村民の常食物はドングリの実、20万人と算される欠食児童」(10月16日付東京朝日)という惨状を呈した。
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申蕙秀によると、近隣諸国に比べて
「朝鮮女性が受けた苦しみは、その特異性でも度合いでも」悲惨だったという。
近代以前では、王朝こそ交替したが、宗主国の中華帝国によって被った被害が大きい。
生きた貢物として多くの女性が送り込まれた。
戦争ともなると数万人のオーダで強制連行され、運良く帰ってきた者も
「傷ものにされた女たち」という社会的烙印を押されて家郷に容れられず、
官奴婢として売春で生きるしか術がなかった。
官奴婢の多くは「妓生(キーセン)」で、10世紀頃から制度化され、李朝末期まで存続した。
彼女たちは身分的には最下層に属したが、遊芸を仕込まれ、宮廷や上流社会の男たちに性サービスを提供した。
中世日本の「白拍子」や後代の芸妓に相当する存在と見て良いだろう。
ここまで
現代で言えば北朝鮮の「喜び組」のことかな?
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「史上最大の作戦」と呼ばれたノルマンディ上陸作戦が始まるが、
その直前にはピカデリーやハイドパークの野外で立ったままや中腰で兵士にサービスするほど忙しかったロンドンの売春婦たちは、一夜にして顧客を失ったとポール・ファッセルは書いている。
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これは米兵相手の中国人の売春婦たち
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敗戦によって米軍の大挙進駐を迎えた日本政府は、占領地における日本兵の行状を聞き知っていただけに、あわてふためいた。
「良家の子女」を守るため、連合軍兵士用(主として米兵)に「性の防波堤」をという思いつきで、
内務省は有力業者に話をつけ、警察力を動員して「特殊慰安施設協会」(RAA)を結成する。
大蔵省に頼んで3000万円の緊急融資を受け、
米軍第一陣が到着する前日の1945年8月27日、東京大森の小町園に第一号が誕生、
朝日新聞などに報じられた。
「急告 特別女子従業員募集 衣食住及高給支給、前借にも応ず」
の募集広告に応じて、千数百人の女性が集まった。
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ベトナム戦
最近になって注目を集めてきたのは、米軍に次ぐ延べ31万人を派兵、
5千人とも3万人ともされる混血児を残してきた韓国軍である。
長くタブー視されていた韓国の派兵と兵士たちに残したトラウマをとりあげた映画
「ホワイト・バッジ」(1992)の公開がきっかけになったが、
慰安婦問題に関わっている朝鮮人女性の中には
「韓国人はベトナム人殺しと女買いの悪いイメージを残したのです・・・・
ベトナムに対して韓国は30数年間、過去を精算しなかったのです」
と言い出す人も出ている。
(「世界」1997年4月号の富山妙子との対談における尹明淑発言)
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従軍慰安婦問題の発端である吉田清治の証言の検証
済州島の慰安婦狩りについては、完全な虚構であることがわかる。
戦後の職歴が不明でかなり怪しい
どこから金を得ていたのだろう
1996年11月28日号週刊文春 猪瀬直樹「ニュースの考古学」より
それにしてもたった一人の詐話師が、日韓問題を険悪化させ、
日本の教科書を書きかけさせ、国連に報告書まで作らせたのである。
虚言を弄する吉田という男は、ある意味ではもう一人の麻原彰晃ともいえないか。
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98年2月に成立したばかりの金大中政権は4月から、
アジア女性基金の償い金は受け取らないという誓約書と引き換えに
136人の元慰安婦へ約350万円の一時金を支給した。
第一次民間募金と合わせれば、基金の支給額と同額に近い。
大統領はその主旨を
「ハルモニの世話は自国政府がやる。
外国人の<施し>は、不必要」
と説明している。
日本側の反応は複雑だった。
外務省は韓国政府の措置を建前はともかく、
実質的には日本国家による個人保障を要求しない意思表示と理解した。