徳川吉宗の時代に、尾張藩の藩主だった徳川宗春は、現在の名古屋の繁栄の礎を築いたと言って良いと思います。
徳川宗春の政治思想・政治理念・施政方針を著したものがこの本です。
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第八条
法令(規制)が多いのはよくないことである。
さまざまな法令や規制が、年々多くなるに従い、自然とこれに背く者も多く出て、
ますます法令が多くなり、わずらわしいことになる。
このまま数十年を経るならば、後には高声で話すことも遠慮するようにならないとも限らない。
そのほか、一切の作法や諸役所の取り扱いも、このままいくと、結局は夜寝る間も無くなってしまうのではないか。
第一、法令が多すぎると、人の積極性が失われ、狭くなりいじけ、
道を歩くときにも後先を見るようになり、いつも愚痴ばかり言い、自然と忠義の心も薄くならないともいえない。
したがって、法令の内容をよく考え、人の難儀や差し障りになることや、
些細(瑣末)な種類の法令は取り止めるようにしたものである。
さまざまな規制を少なくすれば、勤めることも守ることも楽になり、法令の数を減らせば、
背く者も稀となり、心も優しくなり、諸芸に励むことになるであろう。
日本・中国ともに取り締まりが厳しく、法令が煩雑になるのは良くないといっている。
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享保期に将軍吉宗が約三十年にわたって展開した「享保の改革」は、低成長時代を迎え、
政治が停滞する中で、三千万の国民の生活をいかに維持し安定させていくのか、
という過大にたいする吉宗の回答であった。
その回答とは、幕府(中央政府)の権力を強化し、そのもとで、
国家機能・公共機能を拡大するという、
いわば「大きな政府」による支配体制の再編であった。
吉宗は法制度や官僚機構を整備し、幕府主導のもと、
福祉、教育、防災、医薬などの分野で、さまざまな政策を展開した。
仲間組合の結成による価格統制や、倹約主義・緊縮主義に基づく規制強化もすすめた。
これらの政策の財源を確保するために、徹底した増税も行っている。
こうした吉宗の政治に、真っ向から立ち向かったのが尾張宗春
(藩主在任1730年11月から39年1月)であった。
宗春は、著書「温知政要」のなかで、吉宗の政治を批判し、法は少ないほど良い、
倹約主義はかえって経済を萎縮させる、年貢や諸役は軽く、多様な個性も重視すべきなどと、
いわば「小さな政府」論を展開した。
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温知政要 徳川宗春
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