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日本/権力構造の謎 カレル・ヴァン・ウォルフレン



この本、80年代末、つまり日本経済が一番盛んだった頃に出版されたようで海外でとても話題になったようです。
著者は日本に30年以上滞在していたようですが、日本には明確な権力者がおらず、
「システム」と呼ばれるもので支配されている、といっている。
「システム」とは著者によれば、昔からの慣習などによって醸成されてきた仕組みなのだそうだ。
模糊曖昧とした定義でした。
著者が実際に滞在していた時期(戦後)に対する分析はまだしも、
日本の歴史に対して知識がないために、戦前以前についての解釈が
こじつけに見えるのが残念です。

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日本理解を難しくする主要因となるフィクション

第一の虚構は、日本が、他国と同様の主権国家、つまり国策としてなにが最善かの判断ができ、
しかも決めた国策の責任を究極的に負える国政の中枢を持つ国家だとされていること
である。
このフィクションは払いのけるのがきわめて難しい幻想である。

ーー中略ーー
第二の虚構は、第二次世界大戦後まもなく欧米諸国が日本に対する態度を決めるもとになったもので、日本経済が、いわゆる”資本主義的・自由市場”経済の類型に属するというフィクションである。
ーー中略ーー
日本、韓国、台湾の例を見ると、欧米型と共産主義型のほかに、第三の政治経済類型が存在しうることになる。
アメリカの政治学者チャーマーズ・ジョンソンは、この類型の工業国をとくに
「資本主義的発展志向型国家(CDS)」と呼ぶことにした。

ここまで
第一の虚構はそうだな、と思うが、
第二の虚構については、欧米が勝手に自分の価値観で判断してパターン化するから陥っているだけなので日本が気にかける必要もないと思う。

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日本の大企業が、中期的利潤よりもマーケットシェアの拡大に重点を置いているという点で見方が一致してから久しい。
また、その戦略上の目標を達成するためなら、欧米諸国の企業にはとうてい不可能なほど長期間、健全な経営を維持していくのに必要な利潤さえ我慢するということも、周知のとおりである。
マーケット・シェアの拡大は、国の領土の拡大と同じく、より強大な力への欲望、政治的な動機に由来する。
利潤最大化は、金への欲望、つまり経済的な動機があってのことだ。

ここまで
たしかにバブル崩壊してしばらくまで、日本はこのような意識にあったと思う。

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歴史のあと知恵でいえば、明治の改革者が多くを成し遂げたのはたしかだが、
現在の日本がかかえているリーダーシップ問題についても、彼らの責任なのである。
詳細に吟味してみると、彼らが設立した国家は、彼らの寿命よりも長く持ちこたえなくて当然という感じさえしてくる。
彼らが作った規則に、だれが責任を取るのか具体的に明示されていないことをみてもわかるように、
国家をしっかりと固めるためには彼ら創始者一人一人の個人的な努力によって統一を保っていかねばならなかった。


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内閣は、それぞれが周到に特権と省内自治を守る寄り合い所帯のままであった。
首相は決して執行最高責任者ではなく、
内閣の政策統一をはかろうとするコーディネーターの最高位者である。

彼は他の大臣に命令することも、意のままに大臣を変えることも出来なかった。
大臣の更迭は、圧力と説得とを要する複雑な仕事である。
(「Politics and Culture in Wartime Japan」(戦時下の日本の政治と文化) Ben-Ami Shillony 頁29)

戦時中の日本人は、ヒットラー、ムッソリーニ、チャーチル、ルーズベルトらが握っていたような
権力にはるかに及ばぬ程度の権力ですら、
誰か一人の人物(あるいは一政府機関)に与えることはなかった。
戦争が終わりに近づいても、戒厳令を敷けば日本の総力防衛に必要な権力が得られたであろうに、
政府は戒厳令を発動しなかった。
「理由の一つは、指導的エリートがだれも、他のエリートの権力が増すことを望まなかったからである。
(「Politics and Culture in Wartime Japan」(戦時下の日本の政治と文化) Ben-Ami Shillony 頁83)」

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1960年代後半に、青法協の影響によるとされる”偏向判決”を多くの雑誌が批判した
ーー中略ーー
ことに雑誌「全貌」は青法協を「容共団体」(一部の会員についてはたしかにそう言える)と呼び、
「裁判所の共産党員」という特集を組んだ。

最高裁はこの雑誌を資料として各地の裁判所に配布したのである。
このように商業誌の記事や保守的な法律家の非公式見解は、青法協に「革命的」団体というレッテルを貼ることで一致していた。

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他の日本人のキリスト教徒が設立した教会の中で、権力者の悩みの種になった教会はあまりなかった。
教理に反する状況が生じた場合、たとえば第二次世界大戦直前、
日本人全員が靖国神社(国家神道の神社、また戦没者の霊廟)を参拝するよう要求された時、
当局がその考えを通した。
バチカン教皇庁は日本のカトリック信者に参拝は市民の義務と考えることができると告げ、
プロテスタントの教会の大半もこれに倣った。

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