2014年7月1日、ようやく集団的自衛権の行使容認が閣議決定されました。
前回記事にしたように、今後集団的自衛権容認に向けた法整備が進みます。
日本は法治国家であり、閣議決定という内閣の意思決定だけでは国家を動かすことはできません。
各種法整備が完了して初めて集団的自衛権の行使が可能になります。
肯定派も否定派もこのあたりを勘違いしているように思います。
特に否定派の妄想は激しい。
徴兵制が始まるとか、戦争が始まるとか
徴兵制については以前記事にしたように、日本で徴兵が再開されることはありえません。
そもそも日本は職業軍人を初めて導入した国でもあります。
自衛隊というわけではなく、織田信長がです。
ナポレオンの200年も前にです。
そんな国がいまさらド素人を集めて兵隊を増やすなどちゃんちゃらおかしいです。
今回は集団的自衛権について、一般に考慮されていない事項についてまとめてみたいと思います。
<集団的自衛権という言葉そのもの>
集団的自衛権をWikipedia のPC版で調べてみましょう(ここ)
Wikipediaの記事は多言語対応されています。
左側に他の言葉で説明されている記事を参照することが出来ます。
この集団的自衛権では、残念ながら中文、すなわち中国語でしか存在しません。(ここ)
中国語版の説明が酷い。
「海外出兵」「他国の戦争に介入」など全く「自衛」とは関係のないことが書かれている。
つまり、日本以外では実質語られることのない概念である、ということが分かります。
言葉遊びをずいぶんと長い間行なっている国について、おそらく外国はずっと不思議に思っていたでしょう。
訳の分からない理論で、勝手に新しい言葉を作ってああでもないこうでもない、と。
言葉が世界を作る、言霊の国、日本ですね。
<国連憲章との兼ね合い>
国連憲章に集団的自衛権と書かれている、という人へ
よく見てみたい。
該当の条項は第51条です。
英語と日本語を併記します。
Nothing in the present Charter shall impair the inherent right of individual or collective self-defence if an armed attack occurs against a Member of the United Nations, until the Security Council has taken measures necessary to maintain international peace and security. Measures taken by Members in the exercise of this right of self-defence shall be immediately reported to the Security Council and shall not in any way affect the authority and responsibility of the Security Council under the present Charter to take at any time such action as it deems necessary in order to maintain or restore international peace and security.この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。この自衛権の行使に当って加盟国がとった措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない。また、この措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持または回復のために必要と認める行動をいつでもとるこの憲章に基く権能及び責任に対しては、いかなる影響も及ぼすものではない。
さて、これを普通に見て「個別的自衛権」と「集団的自衛権」とを区別していますか?
確かにわざわざ「個別的」「集団的」と書かれているが、その2つに別々の措置を取らせているかというと、全くそうではない。
だからこそ、その次にまとめて「この自衛権の行使」というふうにしているわけです。
国際連合から集団的安全保障が取り入れられるようになり、集団で安全保障に脅威をもたらす相手に制裁を与えることができるようになりました。
この経緯から自衛について「個別」「集団」として集団的安全保障の意義を浸透させようとしたのかな、と思います。
いずれにせよ、国連憲章では個別的自衛権と集団的自衛権を区別して「扱っていません」。
<集団的自衛権を否定する人は果たして世界の平和を願っているのか>
集団的自衛権反対の人たちは、集団的自衛権と集団的安全保障を完全に誤解しているフシがあるが、それは今回置いておくとします。
彼らは、同盟国が近くでやられていても、絶対に手は出そうともしない。
これは言い換えれば、
・自分だけ守れればよい
・他の国は死んでもよい
・自国の兵士は絶対に死なせない
・代わりに他国の兵士に死んでもらう
こういうことを言っている。
これに対して彼らはこう言うだろう。
「いや、そもそも同盟国にも攻撃がいかないような状態を作ることが必要なのだ」
と。
そんな状態が作れるというのであれば、
「集団的自衛権の行使」を認めたところで何の脅威もないわけです。
だから、やっぱり彼らの頭には
他国は平和でなくても良い、他国はどうでもいい、
という考えが存在しなければならない。
集団的自衛権・集団的安全保障を現代で否定する人は、
まずここを自分でしっかり認め、発信しないと辻褄が合わないだろう。
「私は、世界の平和ではなく、自国の平和だけを望んでいる」
と
彼らは国連という集団的安全保障を前提としている組織から脱退するよう主張しなければならない。