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朝鮮終戦の記録 森田芳夫

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この本は、第二次大戦終戦直後の朝鮮における情勢を膨大な記録を元に記したもの
全部で1000頁ほどあり、読み応えが満載です。


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8月16日ソウルにて

釈放者たちは、刑務所(西大門刑務所)の行動に集まっていた。
呂運亭氏は彼らに対して、長年の労苦を労い、朝鮮民族解放の日が来たことを告げ、
朝鮮・日本両民族の将来のために軽挙妄動をいましめた。
崔容達氏は、衣類と食料が鐘路に準備してあるから、取りに来るようにと付け加えた。
釈放者の中には、政治犯のみならず、殺人・強盗犯などもまじっていたが、もはや刑務官の力では阻止できなかった。
呂運亭一行は、京城刑務所の政治犯釈放にも立ち会った。

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建国準備委員会の下に、左派はぐんぐんとその勢力を拡大した。
9月4日の拡大委員会では、副委員長の安在鴻氏が去って、左派の許憲氏がかわって就任した。

ここまで
終戦直後から共産主義者がすでに韓国に多く蔓延し始めていることがわかる。

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朝鮮神宮参拝者は、日華事変以後急増して年間200万名を超え、17年の参拝者数264万8365名、1日平均の参拝者数は7000名を超えた。

8月15日の夜、平壌神社が放火されたのを始めとし、相次いで各地の神社・神祠が破壊・放火された。
さきにあげた総督府の統計によると、8月16日から8日間に、神祠・奉安殿に対する破壊・放火は136件に及んでいる。
これは警察官署に対する襲撃・選挙・接収・要求など149件にほぼ匹敵する数字で、
行政官庁に対する暴行件数よりも多い。

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トルーマン大統領が米ソ境界38度線の案を決裁する前に、パーンズ国務長官は米軍の領域をできるだけ北に延ばすよう主張したが、軍部は距離の遠さと人員不足のためという意見で反対したと伝えられている。

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1946年
米軍政庁は、左派分子の検挙を進めた。
共産党の朴憲永氏は地下にもぐり、民戦事務局長李康国氏は、北朝鮮に逃れた。
左右合作委員会は、ホッジ米軍司令官に、南朝鮮混乱対策委員会の組織を提案して、
米軍側と会談を行ったが、軍政庁の左派検挙と共産系の扇動のために、成果を挙げ得なかった。

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北朝鮮は、終戦後自国の技術を発展させるために、
日本の技術者を確保しようと残留者の引き止めにかかっていたことがわかった。
ただ、実際北朝鮮が提供できた生活水準が低いこともあって、
日本の技術者は皆帰国したがっていた。


正式引揚は、帰りたいものは帰れるという建前であった。
しかし、日本人技術者に帰られては生産に大きな障害をきたすことを憂えて、
朝鮮人側は「大事な仕事をしている日本人技術者の引揚を許さない」と発表したところが多かった。
ーー中略ーー
興南地区人民工場日本人部は、11月11日に同工場長およびスクーパー衛戌司令官あてに、つぎの陳情を行った。

ーー中略ーー
第一、貴国希望理由
(1)技術者として仕事をするためには、最低限度の衣・食・住の保障のみでなく、一定の程度の文化生活の保証が必要である。
ところが、現在では、研究生活に必要な諸設備、図書・専門新刊雑誌等の提供がなく、
また当分の間は、それが提供される見込みは全くない。
これなくしては、技術は退歩するばかりで、技術者としての生命は、やがて消滅するのである。
(後略)

朝鮮終戦の記録―米ソ両軍の進駐と日本人の引揚 (1964年)/巌南堂書店
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