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逝きし世の面影 渡辺京二

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主に幕末の頃の日本の姿を外国人から見た観点でまとめた本

非常に多くの本を参照している。
手っ取り早く多くの外国人の、幕末の日本への印象を知るには良い本だと思います。
ただ難点としては、たまに書かれていることが作者の考えなのか、参照されている外国人の考えなのかはっきりしないことがあること

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それはチェンバレンのいう、「この国のあらゆる社会階級は社会的には比較的平等である」という事実に関わる。
「一般に日本人や極東の人々は、大西洋の両側のアングロサクソンよりも根底においては民主的である」
とさえ彼は言う。
「金持ちは高ぶらず、貧乏人は卑下しない。
・・・ほんものの平等精神、われわれはみな同じ人間だと心底から信じる心が、社会の隅々まで浸透しているのである」。

チェンバレンのこのような言明は、英国人のスノバリ、米国人の貴族好きと対照的に、
日本にはスノッブがいないし、ほんとうの意味の貴族もいないという観察に基づいている。
庶民は大隈伯のことを「大隈さん」としか呼ばない。

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ウィリアム・ディクソンも同じ習慣を記録している。
「東京のいたるところに人力車夫の溜まり場があり、四、五人から一ダースほどの車夫が待機している。
客をめぐって口論するかわりに、長さの違う紐の束を用いてくじを引くのが彼等のやり方だ。
客になりそうなのが近づいてくるのが見えると、彼等はそれをやる。
お目当ての人物がはじめから乗る気などなくて通りすぎてしまうと、当たりくじを引いていた気の毒な車夫に向かって笑い声が起こる。
その当人も嬉しそうに笑っているのだ」

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「子供は大勢いるが、明るく朗らかで、色とりどりの着物を着て、まるで花束を振りまいたようだ。
・・・彼等と親しくなると、とても魅力的で、長所ばかりで欠点がほとんどないのに気づく」
と言うのはパーマーである。
母親と同じ振り袖の着物を着てよちよち歩きをしている子供ほど、
「ものやわからでかわいいものはない」とシッドモアは言う。
日本についてすこぶる辛口な本を書いたムンツィガーも
「私は日本人など嫌いなヨーロッパ人を沢山知っている。
しかし日本の子供たちに魅了されない西洋人はいない」と言っている。
チェンバレンの意見では
「日本人の生活の絵のような美しさを大いに増している」のは
「子供たちのかわいらしい行儀作法と、子供たちの元気な遊戯」だった。
日本の「赤ん坊は普通とても善良なので、日本を天国にするために、
大人を助けているほどである」
モラエスによると、日本の子供は「世界で一等カワイイ子供」だった。

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宣教師ブラウンは1863年、彼を訪ねてきた日本人とともに漢訳の「創世記」を読んだが、
その日本人は、人間は神の最高の目的たる被造物であるというくだりに来ると、
「何としたことだ、人間が地上の木や動物、その他あらゆるものよりすぐれたものであるとは」と叫んだとのことである。

彼等は、人間を特別に崇高視したり尊重したりすることを知らなかった。
つまり彼等にとって、”ヒューマニズム”はまだ発見されていなかった。
オールコックが「社会の連帯ということがいかに大切かということを忘れる恐れのある人は、日本に来て住めば良い。
ここでは、そういうことは全く知られていない」というのはそのためである。

彼は日本人の虚言癖に憤慨してこう書いているのだが、当時の日本では、虚言をいちいち神経症的に摘発して真実を追求せねば、社会の連帯は崩壊するなどと考えるものは、おそらくひとりもいなかった。
彼等は人間などいい加減なものだと知っていたし、それを知るのが人情を知ることだった。
そして徳川期の社会は、そういう人情のわきまえという一種の連帯の上にこそ成立し得た社会だった。






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