この本は、靖国神社参拝問題というよりは、靖国神社と日本人との関わりについて主眼を置いています。
==============
明治元年5月10日付御沙汰書が示す如く、靖國神社の御祭神は、
嘉永6年癸丑の年(1853年)以降、天下に魁けて<国事>に斃れた<諸士及び草奔有志の輩>であり、その中には<冤枉罹禍者>少なからず
とされていた。
ここに御祭神の性格を定義すべき主要な因子が言い表されている。
即ち嘉永6年以降という時代的限定と、
「国事」に身を捧げて斃れた死者であるということ、
そしてこれは維新期の殉難者についての特殊な条件(但し、大東亜戦争停戦後になって不思議にもこの特殊条件が復活することになる)であるが、
冤(むじつ)の罪により禍をこうむった者
という性格付けがこの文面から浮かび上がってくるのである。
=============
米国
記念日(Memorial Day)5月30日。
米国の祭日は、独立記念日、「ワシントン」誕生日等数日にすぎざるに拘らず、
特に5月30日を以って戦死者記念日として之を国祭日と定む。
当日大統領はワシントン近郊陸海軍墓地アーリントンに至り、親しく戦死者の霊を弔い、
各国外交官も皆参列す。(多分大公使は其の国を代表し花を供へしとかんがえる)
本記念日は独立戦争以後欧州大戦に至る戦死者の霊を祭るものにして、
各地其の公私の儀式を行い、陸海軍墓地はこの日は其の関係者により小国旗及び花を以って飾らる。
=============
昭和21年7月のこと、長野県遺族会の有志の人々が、神社の勧誘とか依頼ということではなく、自発的に上京してきて靖國神社の境内で盆踊りを繰り広げ、民謡を歌唱して戦歿のみたまをお慰めするという結構な出来事があった。
こうした民間発案の慰霊行事は、戦争中はもちろんのこと、戦争前にも未だかつてなかった事例である。
この時にはまだ「みたま祭」という名称も生まれなかったのだが、
これが現行のみたま祭りの実質的起源だとすれば、昭和21年から数えてすでに50年以上を経ている。
このお祭りの遠隔を回顧しその意義を改めて考えて見るに適しい年数が過ぎた。
【中古】 靖国神社と日本人 PHP新書/小堀桂一郎(著者) 【中古】afb |