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「靖國」が意味すること

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社格・社号の改訂を機に、6月25日には臨時の奉告祭が営まれているが、
その祭典に際しての御祭文がよき資料として遺し伝えられている。
御祭文本体の引用は省略するが、その中に
<大皇国(おおきすめらみくに)をば安国と知(しろ)し食(め)す事そ>
との句が見えている。
これは「延喜式祝詞」の「祈年祭」に
<四方国(よものくに)乎(を)安国(やすくに)登(と)平(たひらけ)久(く)知食(しらしめ)須(す)我(が)故(ゆえ)>
とあるのを、又「六月(みなづき)晦(つごもりの)大祓(おおはらい)」に
<豊葦原(とよあしはら)乃(の)水穂(みずほ)之(の)国乎(を)、安国(やすくに)登(と)平平(たひらけ)久(く)知食(しらしめせ)止(と)事依(ことよさ)志(し)奉(まつり)伎(き)>
とあるのを受けているであろう。
美称としての「安国」は、「日本書紀」巻第三「神日本磐余彦天皇(かむやまといわれびこのすめらみこと)」即ち神武天皇の条に言う、
<昔伊奘諾尊(いざなぎのみこと)、此の国を目(なづ)けて曰く、日本は浦安国、細戈千足国(くはしこのちだるくに)、磯輪上秀真国(しわかみのほつまくに)と>の
<浦安国>にまでさかのぼっての記憶であるかもしれない。
<浦安>の浦は宛字であって、<うら>即ち心の意である。

では何故<安国>ではなくて<靖國>なのかといえば、
我が国では元号の制定の場合などに典型的に表れている如く、
二字の重要な漢語は、多く漢籍の古典に典拠を求めるという慣習があるからである。
即ち「春秋左氏伝」巻六「僖公・下」に、夫々<叔伯曰く、子は国を若何せん、と。
対へて曰く、吾は以って国を靖んずるなり。
夫れ大功有りて貴仕無くんば、其の人能く靖んずる者は幾ばくか有る、と>、

<子文之を問う。対へて曰く、賀する所を知らず。
子の、政を子玉に伝へしは、以って国を靖んぜんと曰へり>
とある、この二箇所を<靖國>の字の典拠とする。

靖国神社と日本人」 小堀桂一郎 より


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