Quantcast
Channel: 読書は心の栄養
Viewing all articles
Browse latest Browse all 1745

反古典の政治経済学 上 進歩史観の黄昏  村上泰亮

$
0
0


================

世界国家論には、

「正戦論型」、世界国家は正義を象徴し、不正の勢力に対抗して戦い取られるべきものだという考え

「平和論型」、世界国家は秩序を象徴し、その中での平和は常に維持されるべきものだという考え

という二つの対照的な型があることが分かる。
2つの型は、(アウグストゥスが説くように)永遠の彼方では収斂するのかもしれない。
だが現実には、正義と平和は殆ど常に食い違うのである。

===================

実は「民主化 decmocratization 」という言葉はきわめて曖昧である。
しかし普通の用法では、「自由主義を前提とした民主主義 liberal democracy」が念頭にあることは間違いない。
その意味で、ここでいう「民主化」は、リベラル・デモクラシーの制度化を、
具体的には複数政党下の議会制民主主義 pluralist parliamentary democracy の成立を指すものとしよう。
ただし、民主主義と自由主義を当然のように結びつけることには実は問題がある。
昔から言われているように、あるいは最近ではハイエクが強調しているように、
両者は同じではないし、その間に矛盾点もある。
既に第一章で議論したように、自由の核心は思想の自由である。
つまり自由主義は本質的には内心の姿勢であって、
行動の自由を保証する制度は、自由主義のための、あえていえば周辺的な条件であり、
そのことを自覚しない自由主義は、制度の惰性に振り回されることになる。
たとえば、自由な思想は憲法にさえも縛られるべきではないから、
憲法も最小限の人権条項以外のことは、
成文化されていないほうが、あるいは改正しやすいほうが、自由主義的である。

それに対して、民主主義は本質的に制度として可視化されることを要求する。
なぜなら、民主主義とは、平等に基礎を置く観念であって、つまり個人間比較の基準を個人の外に確立することを必要とするから(たとえば参政権資格の規定はその代表的な例である)。
したがって、リベラル・デモクラシーの制度化にあたっては、民主主義が能動的要素となり、
自由主義がそれを抑制する受動的要素となることが多い。
その意味で、ここでいう「民主化」はまさに民主主義の要素が色濃いものとなる。

ここまで
つまり、アメリカで言えば昔の自由がいい、という共和党の一部こそがリベラル(自由主義)で、
民主党のように保護・保護、といって制度化する人は党名にあるように民主主義である、ということだろうか。

反古典の政治経済学 上 進歩史観の黄昏/中央公論社
¥2,592
Amazon.co.jp


Viewing all articles
Browse latest Browse all 1745

Trending Articles