この本はとてもよかった。
というか2002年の出版でありながら、いまだにこの本で書かれていることがメディアに出てきていない。
この本で多くのことを知った。
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日本共産党は、主体思想(チュチェ)の扱いや個人崇拝問題を巡って、
70年代から朝鮮労働党と冷たい関係になってはいたが、
拉致問題への社会的関心が大きくなるにつれ、これが有事立法をはじめ日本の「右傾化」を推進する勢力に利用されることを危惧するようになっていく。
共産党の眼には、兵本は拉致問題を「やりすぎた」と映ったのだろう。
1998年に兵本は共産党を除名された。
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辛光洙は日本生まれの在日二世である。
戦後、親の出身地である現在の韓国に帰り、朝鮮戦争時に南進してきた北朝鮮軍に参加した。
工作員に抜擢された辛は1973年に石川県の海岸から工作船で日本に密入国した。
日本語が流ちょうだったし土地勘もあったから日本社会に溶け込むことは難しくなかった。
彼がまず始めたのは、在日朝鮮人をスパイ網に組み入れて活動の基礎を築くことだった。
そのために利用されたのが、北朝鮮にいる在日朝鮮人たちの親族だった。
1959年末から開始された「帰国運動」の中で、在日朝鮮人9万3千人が、祖国建設に参加しようと、新潟港から船に乗り北朝鮮へと永住帰国している。
彼ら「帰国者」のほとんどは、日本人妻ともども、その後日本との往来ができないままである。
辛は、ある「帰国者」が日本の親族に宛てて書いた手紙を使った。
辛光洙に協力してくれるよう依頼するその手紙を日本の親族に見せて、協力者に仕立て上げていた。
ーー中略ーー
日本人の身分を獲得する方法として、工作機関の指導員は彼にこう指示している。
「大都市の役所の戸籍担当職員を買収して、戸籍処理がなされないで生存者になっている志望者の戸籍を入手」するか、
「日雇い労働者、失業者の中から戸籍を入手し、その対象者を北朝鮮に拉致」して
「成り済ます」こと。
その対象者を物色するに当たっては、
「日本人であること、年齢は45歳ないし50歳くらいの(辛と)似た年齢であること、
独身者で一家親戚がいない身寄りのないものであること、
日本の警察に指紋や写真を登録したことがないものであること、
旅券の発給を受けたことがないものであること」
などの条件に留意する必要がある、と。
大阪朝鮮商工会の会長に、北朝鮮にいる息子二人の写真と手紙を見せて協力を要請したところ、
同じ商工会の理事長が経営する中華料理店の従業員、原敕晃が、「成り済まし」の対象者候補に挙がった。
(中略)拉致を実行するのは、辛光洙、理事長そしてすでに辛の協力者になっていた金吉旭の三人と決めた。
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亡命した元北朝鮮工作員の証言によると、対南工作施設が集中する平壌市龍城区域に、
「以南化環境館」がある。
地下に大きな洞窟を掘って、その中にソウルの町並みを映画のセットのように作り上げた驚くべき施設で、
ホテル、銀行、学校から歓楽街までそろっている。
工作員たちはそこで本物の韓国の紙幣を使い、カラオケで韓国の流行歌を歌うなどして、韓国に潜入したときにまごつかないよう訓練されるのである。
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金賢姫は、手記「忘れられない女」に「私の考え」だと断った上で、拉致の目的をこう説明している。
対南工作に外国人を利用せよという金正日の指示に従って、1970年代後半に外国人拉致が本格的に推進された。
拉致した人に対して徹底した思想教育を行い、工作活動をさせようとしたがうまくいかない。
拉致してきた外国人を送り返すこともできず、そうかといって殺してしまうわけにもいかず、
北朝鮮工作員の教育のために利用するようになったというのだ。
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摘発されなかった「浸透」事件もたくさんある。
「北国新聞」発行の「月刊北國アクタス」1997年4月号によると、
1956年以降「確認」された北朝鮮スパイの密入国容疑事件は石川県内だけで29県に及ぶという。
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韓国政界の中枢まで深く浸透した北朝鮮の大面の女性工作員、李善実(りすんしる)だ。
1992年には、彼女が韓国内に築いたスパイ網の存在が発覚し、72人が摘発されるという大事件が起こっている。
李は、密かに北朝鮮に戻った後、朝鮮労働党の最高幹部の一人に抜擢されている。
というか2002年の出版でありながら、いまだにこの本で書かれていることがメディアに出てきていない。
この本で多くのことを知った。
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日本共産党は、主体思想(チュチェ)の扱いや個人崇拝問題を巡って、
70年代から朝鮮労働党と冷たい関係になってはいたが、
拉致問題への社会的関心が大きくなるにつれ、これが有事立法をはじめ日本の「右傾化」を推進する勢力に利用されることを危惧するようになっていく。
共産党の眼には、兵本は拉致問題を「やりすぎた」と映ったのだろう。
1998年に兵本は共産党を除名された。
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辛光洙は日本生まれの在日二世である。
戦後、親の出身地である現在の韓国に帰り、朝鮮戦争時に南進してきた北朝鮮軍に参加した。
工作員に抜擢された辛は1973年に石川県の海岸から工作船で日本に密入国した。
日本語が流ちょうだったし土地勘もあったから日本社会に溶け込むことは難しくなかった。
彼がまず始めたのは、在日朝鮮人をスパイ網に組み入れて活動の基礎を築くことだった。
そのために利用されたのが、北朝鮮にいる在日朝鮮人たちの親族だった。
1959年末から開始された「帰国運動」の中で、在日朝鮮人9万3千人が、祖国建設に参加しようと、新潟港から船に乗り北朝鮮へと永住帰国している。
彼ら「帰国者」のほとんどは、日本人妻ともども、その後日本との往来ができないままである。
辛は、ある「帰国者」が日本の親族に宛てて書いた手紙を使った。
辛光洙に協力してくれるよう依頼するその手紙を日本の親族に見せて、協力者に仕立て上げていた。
ーー中略ーー
日本人の身分を獲得する方法として、工作機関の指導員は彼にこう指示している。
「大都市の役所の戸籍担当職員を買収して、戸籍処理がなされないで生存者になっている志望者の戸籍を入手」するか、
「日雇い労働者、失業者の中から戸籍を入手し、その対象者を北朝鮮に拉致」して
「成り済ます」こと。
その対象者を物色するに当たっては、
「日本人であること、年齢は45歳ないし50歳くらいの(辛と)似た年齢であること、
独身者で一家親戚がいない身寄りのないものであること、
日本の警察に指紋や写真を登録したことがないものであること、
旅券の発給を受けたことがないものであること」
などの条件に留意する必要がある、と。
大阪朝鮮商工会の会長に、北朝鮮にいる息子二人の写真と手紙を見せて協力を要請したところ、
同じ商工会の理事長が経営する中華料理店の従業員、原敕晃が、「成り済まし」の対象者候補に挙がった。
(中略)拉致を実行するのは、辛光洙、理事長そしてすでに辛の協力者になっていた金吉旭の三人と決めた。
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亡命した元北朝鮮工作員の証言によると、対南工作施設が集中する平壌市龍城区域に、
「以南化環境館」がある。
地下に大きな洞窟を掘って、その中にソウルの町並みを映画のセットのように作り上げた驚くべき施設で、
ホテル、銀行、学校から歓楽街までそろっている。
工作員たちはそこで本物の韓国の紙幣を使い、カラオケで韓国の流行歌を歌うなどして、韓国に潜入したときにまごつかないよう訓練されるのである。
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金賢姫は、手記「忘れられない女」に「私の考え」だと断った上で、拉致の目的をこう説明している。
対南工作に外国人を利用せよという金正日の指示に従って、1970年代後半に外国人拉致が本格的に推進された。
拉致した人に対して徹底した思想教育を行い、工作活動をさせようとしたがうまくいかない。
拉致してきた外国人を送り返すこともできず、そうかといって殺してしまうわけにもいかず、
北朝鮮工作員の教育のために利用するようになったというのだ。
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摘発されなかった「浸透」事件もたくさんある。
「北国新聞」発行の「月刊北國アクタス」1997年4月号によると、
1956年以降「確認」された北朝鮮スパイの密入国容疑事件は石川県内だけで29県に及ぶという。
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韓国政界の中枢まで深く浸透した北朝鮮の大面の女性工作員、李善実(りすんしる)だ。
1992年には、彼女が韓国内に築いたスパイ網の存在が発覚し、72人が摘発されるという大事件が起こっている。
李は、密かに北朝鮮に戻った後、朝鮮労働党の最高幹部の一人に抜擢されている。
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