昭和天皇の生い立ちから崩御までを描く一冊
昭和の始まりからGHQ占領期まではよく本で描いているが、
その前後はあまりなく、とてもためになった。
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昭和天皇が戦時中に語ったこと
自分の花は欧州訪問の時だったと思ふ。
相当、朝鮮人問題のいやなこともあったが、自由でもあり、花であった。
ここまで
これは皇太子時代に渡欧したときのことを語っている。
朝鮮人問題とはなんだろう、と思ってみたら、
Wikiによると、反日朝鮮人による襲撃が懸念されていたという。
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日本国憲法における天皇が「国憲に関する機能を有しない」(第4条)
これまで述べてきた「内奏」に対し、天皇が質問する形で政治的な発言をすることについては、何も規定されていない。
これまで、社会党の片山哲首相も含め、国会で選出された歴代の首相や、閣僚が天皇のこの行為を内々に認めてきたことは、この行為が象徴天皇の行為の慣行として定着したともいえる。
ところが、内奏の内容を公表する閣僚が出てしまった。
田中角栄内閣の増原恵吉防衛庁長官である。
1973年5月26日の内奏のあと、記者団に次のような内容を漏らしたのである。
天皇は「近隣諸国に比べ自衛力がそんなに大きいとは思えない。
国会でなぜ問題になっているのか」と尋ねた。
増原が「仰せの通りです。わが国は専守防衛で、野党から批判されるようなものではありません」と答えると、
天皇はさらに、「防衛問題は難しいだろうが、国の守りは大事なので旧軍の悪いことは真似せず、いいところは取り入れて、しっかりやってほしい」と述べた。
これが新聞記事になり、野党側は、自衛隊の定員を増やし、沖縄配備を目指す防衛二法の審議を前に、
天皇を利用しようとしていると反発した。
ここまで
会話としては至極普通の中身だが、これを公表したのはまずいと思う。
公表するなら、もう少し当たり障りのないものから初めて徐々に慣れさせないと、過敏に反応するだろう。
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本書で述べてきたように、昭和天皇は東京裁判の正当性を認めていない。
しかし天皇は、三国軍事同盟から南部仏印進駐、太平洋戦争開戦と戦争への道を推進した戦争責任のある人物と、
天皇や木戸幸一(内大臣)、広田弘毅(首相・外相)・東郷茂徳(外相)らのように、
その道を止められず、道義的戦争責任を負っている人物を区別している。
このことは、「富田メモ」で、名が上がる形で特に批判されているA級戦犯が松岡洋右と白鳥敏夫であり、
より有力で有名な東条英機の名が上がっていないことの理由にもなる。
天皇は、松岡や白鳥を、三国軍事同盟を推進するなど戦争への道を進めた人物として、
特に許すことができなかった。
東条は天皇の意を汲み取り、首相として戦争回避に最後の努力をしてくれた人物として別の扱いをしているのである。
ここまで
ここで述べられている白鳥敏夫は外務省革新派として、ドイツ・イタリアとの同盟を結び、さらに積極的に南進を行うことによって、アジアの戦争(日中戦争)とヨーロッパの戦争を結合させることを主張してきた。